ある日とつぜん、着物に目覚めたものの──、さてどうすれば? 迷いながら訊ねながら学びながらの着物日々記録。
*** 着迷いごと ***
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4月最後のお出かけは
2009年 06月 05日 (金) 11:23 | 編集
しまった、と慌てました。いまだ、4月の外出記事も残ったままでありました。
とりいそぎ、4月最終週の着物deお出かけを。

mimitara2さんにお声かけいただいて、サントリー美術館にまいりました。
展示内容は「まぼろしの薩摩切子」。
これが思いがけず、と申しましょうか、期待以上に心弾む内容だったのです。

なんといっても、まず〝なんとなく〟しか知らなかった、薩摩切子の
成り立ちに触れられたのはありがたく。
そもそもは医薬品を入れるための、酸に強い硝子瓶を作る必要に
迫られてのことだったのですね。
10代薩摩藩主、島津斉興の時代に、江戸からわざわざ名の
知れた硝子師(びいどろし)・四本亀次郎を招いて、硝子製造竃で
制作にあたらせています。
さらに11代薩摩藩主、島津斉彬が後を継ぐと、薬用に限らず、
船の窓板や、江戸とは趣の異なる硝子器など、幅広い製造が
始まっていきます。
先に名前の出た硝子師・亀次郎の腕は、斉彬も高く評価して
いたようですが、かの亀次郎、酒癖が悪いのが難だったようでして。
『四本 予テ酒癖アリテ妻子ヲ困ラシメルト聞及ヘリ……』に始まる
史料も展示されています。
興味深いことに、斉彬が語った言葉を記したとされる史料は『しかし、
総じて一芸に秀でた職人というものは、かならず一癖あるものだ』といった
内容に続きます。藩主自身が、亀次郎の酒癖にも理解を示して、
庇ってやっているのです。
その亀次郎が下町の店先で大暴れ、取り押さえられた翌月には
『(工房の)8名の硝子師が揃って帰国願いを出した』ともあり、いやはや、
いったいどのように大変であったことかと、想像を巡らさずにはいられません。

──おっと、話を切子に戻しましょう。
展示内容は幅広く充実して、19世紀にヨーロッパから入ってきた
硝子細工に始まり、江戸切子や硝子製実験器具などが続きます。
興味深いのが、薩州見取絵図。
斉彬に電信機を献上しにきた佐賀藩士が描いたもので、
「なかむら硝子精製場」や「磯別邸の図」などで、硝子方(=工房)の
当時の様子が俯瞰されています。
やがて、薩摩切子と呼ばれる硝子器が、その全景をあらわしてくる
ような展示が続いていました。
中には、幾重にも亀甲柄が重なってみえるようなデザインの
デキャンタもあり、何度も何度も眺めては、時のたつのを忘れました。
また、技術の高さと愛らしさとに心奪われるのが、篤姫所用と
考えられている「薩摩切子 雛道具 一式」。
実際の器のミニチュア版で、小皿揃い、デキャンタ、重箱等々、
精緻な硝子細工が見事な光を放っていました。

そのほか、ただ手元にあるだけで、どんなにか心豊かになるだろうと
溜息の洩れるような硝子器の数々……、実用と美とを一身に備えた
器の持つ磁力を、思うさま味わったことでした。

見終えた後は、美術館脇の不室屋カフェでランチ。限定30食の
「ふやきお汁弁当」に舌鼓を打ちました。
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そんなこの日は、3年目/31回目の着物日和。
うっかり写真を撮るのを失念していて、なんと帰りに地下鉄の駅構内で
あわてて撮影。mimitara2さんのとてもお似合いなコーディを
お天道様のもとで撮れずじまいで、心残りなことでした。
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蚊絣の泥大島に、ウズベキスタンの大きな水玉柄帯がなんとも
映えて。mimitara2さんのほっそりした体型やお顔にもぴったりでした。
ちなみにわたしのほうは、自宅であらためて撮り直したはずが、
見当たりません。えーと、いったいなにをまとっていたのでありましょう?(をい)
次回、mimitara2さんにお会いしたときにお聞きしてみよう。

さて、すでに一カ月分、たまってしまった記事は……、すみませぬ、
今月もちょっとばたばたなので、少しずつ折をみて。お気が向かれましたら、
ふらりとお立ち寄りくださいまし。
判明しました。この日は、いつもの琉球紬に母の帯、でありました。
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